
良く、姉をたてていけるようにと厳しく躾けました。お陰さまで気持ちのやさしい、相手の立場に立って考えられる妹に育ってくれました。姉妹仲が良く嬉しく思っております。
幼稚部の三年間、近くの方は親子で学習ですが、娘は一人ですから随分うらやましい思いをしたようです。私はときどきしか行けませんので、言葉を覚える絵カードなどを作り送ったことを思いたします。
口話訓練のとき、何もわからない子供を教育していくことは、根気のいる本当に大変なことです。わからないときは、手も出る厳しい教えのお陰で力がついていきました。
娘が現在、障害があっても自分の障害に負けないで、また、他人の立場に立って物事を考える、立場の違いがわかるやさしい娘に成長したのも、早くから親元を離れて他人の中に入り、一生懸命に教育して下さった先生方のお陰と感謝いたしております。
小学校は、京都に私の両親がいた関係で、祖父母のもとから京都市の出水小学校の難聴学級に進みました。新学級(健聴児)との交流学習を交えた小学校生活、鼓笛隊でも活躍しました。中学校は京都市の二条中学枝の難聴学級へと進みました。祖父が、「耳から入らない分、目から吸収しなさい」といろいろな本を読ませてくれました。お陰で文章力、読書力、書くことは抜群です。難しい漢字とか言葉も書けるようになりました。
小さいころから絵が好きだったのですが、マンガ家志望で、マンガを描いては少女雑誌に投稿し、入選、佳作になったりしておりました。
高等学校は、「故郷の親の元の方が良い。そうでないと一生、親と生活する機会がなくなる」
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